よ う が い さ ん

要害山城

 所在地  山梨県甲府市上積翠寺町
 形式  山城
 主な城主  武田信虎
 遺構  曲輪・石垣・土塁・竪堀・堀切・井戸・土橋
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2026年4月19日
 満足度   B C D E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

本堂裏手にある信玄産湯の井戸

積翠寺本堂

要害山遠望

主郭東門の外側にある堀切

主郭に入った門の反対側(東側)にも門跡がある

主郭土塁

主郭跡

          主郭跡
~東西約73m、南北約22mの広さで、
周囲には土塁が巡らされている~

主郭西門跡(内側から)

主郭門(西門)跡

主郭跡

第二の門跡(上から)

第二の門の石積

不動曲輪の先にある第二の門跡

第二の門跡

登山道途中にある竪土塁

曲輪

第一の門跡(内側から)

第一の門跡

第一の門跡

登山道途中にある竪堀

                登山口
~ここから第一の門跡まで徒歩で約20分、本丸跡までだと
約35分の道のりである~

登山口に立つ案内板

INDEX

  要害城は、永正17年(1520)に武田信虎が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰の城としての役割
を担っていました。信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されました。
  城は山腹から主郭にいたる通路に沿って、枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めて
います。山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されます。
  南東尾根上には支城の熊城があり、深い堀切で区切られた連続的な小郭と畝状竪堀が特徴的です。また、ふもとには根古屋の地名が残り、
城番を勤める武士の屋敷が想定されています。
  要害城は、熊城とともに遺構の保存状態がきわめて良く、記録が豊富に残されているなど、戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城
です。
                                                                           <現地案内板より>

要害山城

右手の石碑には「武田信玄公誕生之寺」と記されており、
信玄がこの寺で誕生したとの説もある。

山麓にある積翠寺(背後の山は要害山)

堀切の先(東側)にある竪堀

堀切の先(東側)にある竪堀

堀切には石積が施されている

門跡

その後は虎口と曲輪が連続で現れる

第二の門の先にある広い曲輪

不動曲輪からは甲府の街が見下ろせる

              武田不動尊
~江戸時代後期に建てられたもので、不動曲輪の名称の
由来であると考えられている~

不動曲輪

不動曲輪

山麓の駐車場に車を停め、橋を渡って登山口へ

金山城

 概説

      主郭跡に建つ「武田信玄公誕生之地」の碑
~駿河から今川軍が侵攻して来た折、大井夫人は要害山に
避難し、この場所で信玄を出産した~

主郭は要害山の山頂にある

登山道の所々に石積が見られる