横須賀城

 所在地  静岡県掛川市西大渕
 形式  平山城
 主な城主  大須賀康高・井上正就・本多利長・西尾忠尚
 遺構  石垣・曲輪・土塁・水堀
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日   2019年11月21日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 
INDEX

      東大手門跡
〜三の丸への入口であった〜

本丸背後の切岸

西の丸より

本丸南下

  横須賀城は戦国時代末期、天正6年から8年(1578〜1580)にかけて、徳川家康の家臣大須賀康高によって築かれた城であり、当初は
約6キロメートル東に存在する武田方の高天神城を攻めるための軍事拠点として使用されました。
  天正9年に高天神城が落城すると、江戸時代にかけて、城は近隣支配の拠点となりました。
  城主は築城者大須賀氏の後、渡瀬氏、有馬氏、松平氏、井上氏、本多氏と続き、天和2年(1682)からは、西尾氏8代が城主となりました。
(城主は8家20代)
  明治2年(1869)の廃城後は、城に関する土地や建物等が民間に払い下げられ、横須賀城はその姿を消しましたが、昭和56年(1981)
5月8日、国の史跡に指定されています。
  横須賀城の特徴は、中世城郭と近世城郭の2つの構造を持っている平山城であること、大手門が2箇所にあること、宝永地震(1707)まで
は城内に船着場があったこと、河原石だけの石垣がみられることなどがあげられます。
                                                      
                   <現地案内板より>

横須賀城

三の丸は11代城主井上正利によって築かれた

三の丸跡

二の丸には城主が生活する御殿が建っていた

二の丸跡

三日月池

北の丸跡

西の丸背後の切岸

本丸跡

         天守台跡
〜ここに3層4階の天守が建っていた〜

本丸跡に建つ城址碑

本丸跡

西の丸跡

玉石垣をUPで

本丸南側高石垣

本丸南下

本丸下

石垣は天竜川の自然石(玉石)で築かれている

本丸南下門(櫓門)跡

横須賀城の正面口周辺(本丸南下)

 概説

                               横須賀城絵図
〜宝永地震(1707)までは城のすぐ南側まで海であったが、地震によって地盤が隆起し、陸地に変わってしまった〜