鷲尾城
所在地 | 長野県千曲市倉科 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 倉科氏 |
遺構 | 曲輪・石垣・堀切・土塁 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2014年10月9日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
鷲尾城跡遠望
一郭脇曲輪の奥にある三重堀切
本郭石垣
急峻な登山道を登ること20分弱、ようやく山頂(本郭)の
石垣が見えてきた。
大日堂から少し登ったところにある大善寺跡
〜寛文13年(1673)泰子姫が開基したが、寛保2年
(1742)大雨により流出した〜
鷲尾城
この城は、山頂に築かれた(中世15〜16世紀)の山城である。本郭は東西28メートル、南北21メートルほどの不整楕円形をしており、外壁は板状の石を小口積みにした高さ4メートルほどの石垣となっている。南側に入口を設け、また南側から西側にかけて、犬走り状の平坦面を設けている。東側には、高さ3メートルほどの土塁と、深い二条の堀切を設け、東西28メートル、南北12メートルの一郭脇曲輪があり、さらに三条の堀切を設けている。
こうした高い石垣によって本郭を築く、近世城郭のような山城は他に例がないものである。
築造の由来について知るところでないが、倉科氏によって築かれたと伝えられている。
<現地案内板より>
本郭背後の石垣
〜かなり崩落しているが、本郭が総石垣造りであったことが
わかる〜
本郭石垣
本郭跡
本郭跡
本郭虎口
本郭石垣(虎口付近)
本郭石垣(虎口付近)
本郭石垣(虎口付近)
二重堀切の向こうにある一郭脇曲輪
本郭背後の二重堀切
本郭跡(一番奥の部分)
〜石垣と土塁が残るが、石垣はかなり崩落している〜
登山口から少し登ったところにある大日堂
〜泰子姫が如来を祀るお堂として寛文13年(1673)
に建立した〜
山麓の登山口
〜この場所は初代松代藩主真田信之の次女泰子姫
(見樹院)が居住した屋敷跡で、庭園が残っている〜