上原城

 所在地  長野県茅野市ちの上原
 形式  山城
 主な城主  諏訪頼重
 遺構  曲輪・土塁・空堀
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日  2000年5月4日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可(山頂の主郭付近まで)

        山の中腹にある諏訪氏居館跡
〜諏訪氏滅亡後は武田氏の諏訪郡代板垣信方の館が建て
られたため、この場所は「板垣平」と呼ばれている〜

  上原城跡は諏訪盆地を一望する金毘羅山頂(標高978m)にある。その遺構としては主郭・土塁・二の郭・三の郭・曲輪・空堀・物見石等があり、上原城の中腹の小字板垣平(およそ1ha)には居館跡がある。
  この城は、北は永明寺山を背に、北西に桑原城、東に鬼場城等をひかえ、前方南には上川や宮川を隔てて干沢城に対し、諏訪上社(本宮前宮)を見下ろした中世の典型的な山城である。築城の年代は詳らかでないが、室町時代の後期、文正元年(1466)頃より、諏訪惣領家当主信満がこの城の中腹に館を構え、上原郷に城下町をつくった。その後、諏訪氏は信満−政満−頼満−頼隆−頼重の5代70余年にわたり諏訪地方を統治したが、天文11年(1542)7月、甲斐の武田晴信(信玄)によって滅ぼされ、惣領家諏訪氏は滅亡した。
  以後、上原城とその館は武田氏の諏訪地方統治と信濃攻略の基地として、天正10年(1582)武田氏の滅亡まで約40年間続いた。
この城跡は昭和46年5月27日、長野県史跡に指定された。
  なお、三の郭にある金毘羅神社は、頼岳寺18世尊応が文化2年(1805)に頼岳寺の鎮守神として、四国の讃岐より金毘羅大権現を勧請してこの地に祀ったものである。
                                                                         <現地案内板より>

上原城

INDEX

二の郭跡にある物見石

二の郭より主郭跡(正面台上)を望む

主郭跡

 概説