上田城
所在地 | 長野県上田市二の丸 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 真田昌幸・仙石氏・松平氏 |
遺構 | 北櫓・南櫓・西櫓・石垣・堀・土塁 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2000年5月5日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
本丸跡
本丸南櫓(現存)
本丸北櫓(現存)
内堀
本丸櫓門(平成6年復元)
上田城
入口の城址碑と説明版
上田城は天正11年(1583)、小県郡真田郷を領していた真田昌幸によって築かれた。天正13年(1585)、上田城は徳川家康によって攻められたが、城主真田昌幸はこれを撃退。さらに、慶長5年(1600)、関ヶ原に向かう徳川秀忠軍を撃退し、秀忠軍を関ヶ原の戦いに遅参させた。しかし、関ヶ原の戦いで昌幸が属した西軍が敗れたため、昌幸は所領を没収され、高野山へ配流、城は破却された。元和8年(1622)、仙石忠政が信濃小諸から入封し、破却された上田城を修築した。宝永3年(1706)、忠政の曽孫政明が但馬出石へ移封され、代わって入封した松平氏が明治維新まで城主を務めた。上田城の天守については、研究の結果、仙石・松平時代には天守が建てられなかったことが判明しているが、金箔瓦や金箔鯱の破片が出土していることから、真田昌幸時代には天守が存在した可能性が示唆されている。
本丸跡
〜上田城には天守は建てられなかったとされる〜
本丸西櫓(現存)