常山城

 所在地  岡山県玉野市宇藤木
 形式  山城
 主な城主  上野隆徳・戸川秀安
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2010年10月16日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  可(ほぼ山頂の駐車場まで)

惣門丸跡からの眺望(川は鴨川)

青木丸跡

  栂尾丸(とがのおまる)跡
〜NTTの無線中継所が建つ〜

駐車場(栂尾二の丸跡)にある案内板

  「児島富士」と呼ばれるこの常山(標高307m)の山頂一帯に、「常山城跡」はあります。城郭は山頂の本丸を中心に合計14の曲輪で構成される、「連郭式山城」です。
  築城の時期は戦国時代の初めと推定され、上野氏・戸川氏・伊岐氏等の城主が知られています。女軍の戦いは1575(天正3)年のことで、この戦いで当時の城主上野氏は毛利氏によって滅ぼされました。その後、常山城は毛利氏の支配下に置かれましたが、毛利氏の築城技術と言われる竪堀や堀切の遺構は発見されていません。恐らく毛利氏以後城主となった宇喜多氏家老の戸川氏の手により、現存する常山城が整備されたと思われます。
  常山城は児島半島が島であった時期には、備前本土との海峡を抑える軍事上の重要な拠点でしたが、やがて瀬戸内海の航路が重視されるようになり、1603(慶長8)年に廃城となりました。城は解体され、廃材の一部は新たな監視の拠点となった戸津井城の修理に利用されたと伝えられています。

                                                                         <現地案内板より>

常山城

INDEX

山麓にある城主戸川秀安の墓

常山城跡遠景

惣門二の丸跡

本丸石垣

本丸跡にある腹切岩(上野隆徳自刃の地)

常山合戦案内

本丸跡にある展望台と城主上野隆徳の碑

北二の丸跡にある女軍の墓

北二の丸跡

北三の丸跡

天神丸跡

 概説