津川城
所在地 | 新潟県東蒲原郡阿賀町津川 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 金上氏 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・竪堀 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2021年4月12日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
城跡遠望
岩盤が剥き出しになっている麒麟山
出丸跡
本丸跡
本丸跡
二の曲輪手前の竪堀
搦手口土塁跡
侍屋敷跡
搦手口土塁跡
搦手口土塁跡
常浪川沿いの桜並木
出丸跡
金上稲荷神社のある曲輪
二の曲輪跡
二の曲輪跡
二の曲輪跡
〜城内最大の曲輪である〜
門跡
麒麟山狐戻城の由来
建長4年(1252)会津芦名の一族藤倉盛弘が麒麟山の天嶮を利用して築いたこの城は山が嶮阻のため狐も戻ると言うのでこの名がつけ
られた。その子孫である金上氏が永い間城主として越後国の備えを堅くした。15世の盛備(もりはる)は特に文武の道に秀で芦名家使者と
して京に上った際豊臣秀吉と和歌の問答をして名を挙げ従五位下遠江守に任せられた。天正17年(1589)6月芦名義弘は米沢から侵入
した伊達政宗と磐梯山麓に戦って敗れた。急を聞くや盛備は手勢を従え摺上原(すりあげはら)に馳せつけ奮斗し壮烈な戦死をとげた。
寛永4年(1627)に377年の歴史を誇るこの城も幕命によって廃城となった。以後津川に代官が置かれた。
<現地案内板より>
城の南側を流れる天然の堀・常浪川(とこなみがわ)
侍屋敷跡
出丸下の石垣
出丸下の石垣
出丸下の石垣
出丸跡
本丸跡(下段)
本丸と神社曲輪を区切る堀切
二の曲輪から本丸方面を望む
金上稲荷神社
金上稲荷神社
〜城の守護神として歴代の城主から信仰されたという〜
本丸跡
石碑には「麒麟山城址碑」と記されている
二の曲輪跡
〜ここからが城の主要部となる〜
登城口(搦手)
〜麒麟山公園の駐車場に登城口がある。ここから本丸跡
まで約20分(平地10分・登り10分)である〜
磐越自動車道 津川 ICで下り、麒麟山公園を目指す
門跡(出丸下)
本丸跡からの眺望
〜川は阿賀野川、橋は「きりん橋」である〜
登城口(駐車場)に設置された案内板
津川城
登城口から平坦道を10分程歩くとここから登り階段に変わる