と ま つ
富松城
所在地 | 兵庫県尼崎市富松町 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 薬師寺氏 |
遺構 | 土塁・堀 |
指定・選定 | 市指定史跡 |
訪城年月日 | @2004年11月3日 |
A2012年12月29日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
富松城
富松城は戦国時代の城館で、長享2年(1488)の史料にその名がみえます。永正4年(1507)以降、室町幕府三管領の一家に数えられ
摂津など畿内周辺の数カ国の守護を占めていた有力大名細川氏の分裂抗争を発端とする戦乱が尼崎地域に及ぶと、西摂地域の重要拠点
であった尼崎城・伊丹城・越水城(現西宮市)のほぼ中間地点に位置し戦略上の要地である富松城は、その戦乱の主要な舞台のひとつとなり
ました。
目の前に残る小山と溝は、城の西側の守りとして築かれた土塁と堀の一部と考えられます。これまでの発掘調査では、土塁の内側(東側)
に当たる場所で大規模な堀が見つかっていることから、富松城は土塁と二重の堀を備え、東西150m以上、南北200m以上の規模の城館
であったと推定されます。今も残る小高い土塁は、戦国時代の争乱を今に伝える大切な歴史的遺産です。
<現地案内板より>
城の西側に残る土塁と水堀の跡
土塁