戸石城
所在地 | 長野県上田市上野 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 村上義清・真田幸隆 |
遺構 | 曲輪・石垣・空堀・切岸 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2000年5月6日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
米山城馬場跡
〜馬場にしては狭すぎる〜
戸石城から本城へと続く大手口
戸石(砥石)城跡
〜戸石城は「戸石(砥石)城」「本城」「桝形城」「米山城」の
4城から成る。城というよりも曲輪というべきであろう〜
戸石城
この城跡は、北に太郎山を背負い、東側は神川の断崖に臨み東太郎山の支脈が南方に突き出た先端に築かれた要害堅固な中世の山城跡
である。城跡からの眺望はすばらしく、上田・小県地方はもちろん、烏帽子岳西麓から北佐久方面まで一望のもとに見渡すことができる。
築城の時期については、諸説があり定かではないが、埴科郡坂城に本拠を置いた村上氏、あるいは真田本城に本拠を置いた真田氏などが、
上田・小県・佐久地方の軍事上の要として築いたものと考えられている。いずれにしても、室町時代後期の頃である。城跡は、北から西にかけて
桝形城・本城・戸石城と並び、本城と戸石城の間には馬場も設けられていた。また、曲輪、石塁、堀切りなどいくつもの防御設備を設けており、
この地方随一といわれた竪塁でもある。その要害堅固さは、武田の「戸石崩れ」の故事をよく物語っている。山城の多くは、戦略上の要害として
築かれるが、戸石城は規模が大きいとともに、本城は居館としても用いられ、居住性をも兼備した特色のある山城であり貴重である。
<現地案内板より>
戸石城跡遠望
山麓にある案内板
西南に位置する米山(こめやま)城跡
北端に位置する桝形城跡(戸石城の最高地点)
本城切岸
本城空堀跡
本城跡(副郭部)
本城石垣跡
本城跡(主郭部)