天童城
所在地 | 山形県天童市天童 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 天童頼貞・頼澄 |
遺構 | 曲輪・土塁・井戸 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2022年5月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可 中央郭(天童公園山頂駐車場)まで |
城跡遠望
主郭跡に建つ愛宕神社(市指定文化財)
〜天正12年(1584)、天童城を攻略した最上義光によって
建立された〜
主郭説明板(拡大可)
主郭跡にある櫓台
主郭跡
主郭跡
主郭(愛宕神社)に至る登山道の入口
〜ここから主郭まで歩いて10分程である〜
中央郭(天童公園人間将棋会場付近)
中央郭(天童公園山頂駐車場)にある案内板
天童城
舞鶴山は城山ともよばれ、全山が戦国時代の山城である。最初にここを本拠にしたのは14世紀の南北朝時代に南朝方であった北畠天童丸
といわれている。その後天授元年(1375)に成生荘地頭の里見頼直がこの山城に移り、天童氏を名のり、10代にわたって村山地域の東部
一帯に勢力をのばし、土豪や地侍を従え、盟主的な地位にあった。ところが戦国時代に入り、天正12年(1584)に山形の最上義光に攻められ、
これまで天童氏を支えてきた各地の有力な領主が離反し、壮絶な合戦のすえ、落城しその後廃城となっている。
この山城には、主郭である愛宕山頂を中心に、防御施設である切岸(人工の崖)によって囲まれた曲輪(平坦地)がいたるところに残り、県内
では最大規模の戦国期山城である。
<中央郭(天童公園山頂駐車場)案内板より>
山上からの展望(池は愛宕沼)