た こ う
高尾城
所在地 | 石川県金沢市高尾町 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 富樫政親 |
遺構 | 曲輪・堀切・竪堀 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2019年5月16日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
見晴らし台(城跡)に続く階段
~約300段あるらしい(徒歩約8分)~
見晴らし台(曲輪跡?)
高尾城
高尾城跡は標高190m程の丘陵先端部一帯に所在する山城である。史料中には、富樫氏の城として多胡城や富樫城などと見える。長享2年(1488)の一向一揆(長享の一揆)によって攻め落とされた加賀国守護・富樫政親の城として知られている。富樫氏は石川郡富樫郷を本拠地とした加賀を代表する武士団であり、建武2年(1339)に加賀国守護となった。高尾城は非常時に楯籠る城砦として利用されていたと考えられ、
平時は野々市町住吉町、扇が丘町に所在する守護所(富樫館)で政務を執っていたとされる。
見晴らし台のあるこの地は通称「ジョウヤマ」と呼ばれる場所で、昭和45年の土取りによってその大半が失われたが、背後の通称「コジョウ」
には現在も城の遺構が残されており、虎口(入口)や曲輪(削平地)、堀切(尾根を切る堀)、切岸(急な斜面)、竪堀などが確認できる。ただし、
これらの遺構の特徴は、長享の一揆後の16世紀後半頃に築造されたもので、元亀年間から天正8年(1570~1580)の柴田勝家方の侵攻に備えた一向一揆勢が関わった可能性が指摘されている。
金沢平野を一望できるこの地は、日本史上において重要な事件が起きた場所であり、当時を偲ぶことができる数少ない城跡である。
<現地案内板より>
堀切?(見晴らし台より)
堀切?(階段上は見晴らし台)
見晴らし台より
見晴らし台より
~金沢市街が一望できる~
見晴らし台より(眼下に研修センター)
見晴らし台
見晴らし台
研修センター入口手前にある登城口
~登城口は研修センター入口手前と研修センター駐車場奥
の2ヶ所にある~
山腹にある石川県教員総合研修センター
~車は研修センターの駐車場に止めることができる~