竹田城
所在地 | 兵庫県朝来市和田山町竹田 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 太田垣氏・赤松広秀 |
遺構 | 曲輪・石垣・竪堀・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | @1982年7月 |
A2010年5月30日 | |
B2013年11月2日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(山腹駐車場まで) |
見事な石垣群(北千畳方面)
南千畳曲輪
北千畳曲輪
南二の丸跡付近から見た天守・本丸跡
南二の丸跡
本丸石段
山腹の駐車場にある案内図
竹田城
JR播但線、竹田駅の西方、古城山(標高353.7m)の山頂部が竹田城(虎臥城)です。嘉吉年間(1441−4)、守護大名の山名持豊(宗全)の有力家臣(国人)のひとり、太田垣の築いた城郭であります。そのころの竹田城は砦に近い小さなものであったでしょう。その後、文禄年間
(1592−5)から廃城になった慶長5年(1600)に近いころ、いまのような豪壮な石垣積みの城郭となりました。
この石垣は、織田信長の安土城と同じ技術(穴太積み)を用いています。山城としての美しさとともに、その縄張り(平面構成)のみごとさは全国でも指おりの城郭といえましょう。竹田城の縄張りは、中央の最高峰を天守台とし、周囲に高見殿(本丸)、平殿、奥殿、花殿を配し、さらに鳥が双翼を広げたように、その南北の端をそれぞれ南千畳・北千畳としました。城の規模は南北約400m、東西約100mで、いまなお当時の偉容をほこっています。
<竹田城パンフレットより>
最後の城主赤松広秀(斎村政広)の墓
〜山麓の法樹寺裏手にある〜
初代城主太田垣光景の石塔
〜山麓の勝賢寺裏手の墓地にある〜
二の丸跡からの眺望(川は円山川)
二の丸跡
見事な石垣群(南千畳方面)
竹田城跡遠景
正門跡
〜南千畳から南二の丸・本丸に入る門である〜
天守台上
天守台
本丸跡
大手門跡
大手門手前の石垣群
登城口
花屋敷曲輪
二の丸跡から見た天守台
三の丸虎口
三の丸跡