高屋城
姥不動(二の丸跡)
〜二の丸には上級武士の屋敷群があった〜
姥不動内にひっそりと建つ城址碑
所在地 | 大阪府羽曳野市古市 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 畠山氏 |
遺構 | 堀・土塁 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2016年2月21日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
二の丸跡の姥(うば)不動にある縄張図
安閑天皇陵は宮内庁治定となっており立入ができない
本丸敷地内にある安閑天皇(第27代、在位531〜536年)陵
高屋城
安閑陵古墳を本丸として取りこみ、その南に東西350m、南北200mの二の丸、さらに南に東西250m、南北250mの三の丸を結合する構造である。この姥不動堂の周辺一帯は二の丸の中心地域に推定されている。
文献や絵図等の資料から、高屋城の前身として古市城や誉田城の記載がみられるがよくわからない。高屋城として築城されるのは応仁の乱(1467〜1477)の終結後、畠山義就によるものと考えられる。
その後、畠山、三好一族が約100年間にわたり拠点として戦国の争乱を繰り返したが、織田信長により平定され、落城した。
<二の丸跡案内板より>
古墳を取り囲む水堀
古墳を取り囲む水堀