高島城
所在地 | 長野県諏訪市高島 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 日根野高吉・諏訪頼水 |
遺構 | 石垣・堀・三の丸御殿裏門 |
指定・選定 | 続日本100名城 |
訪城年月日 | 2023年5月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
本丸の正門(北門)となる冠木門と冠木橋
本丸北東にある角櫓
土戸門(つちどもん)跡
〜本丸の南門であり、城の勝手口であった〜
川渡門(かわどもん)跡
〜本丸の西門であるが、ここに建っているのは三の丸御殿
の裏門であり(現存)、昭和63年にこの地に移築された〜
天守閣
高島城説明碑(拡大可)
高島城
高島城は天正18年(1590)、豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉によって設計され、文禄元年(1592)着工、慶長3年(1598)完成した。
この高島城は、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり濠の役をつとめ、諏訪湖の波が城の石垣に迫り、「諏訪の浮城」と呼ばれ慶長6年(1601)
初代藩主諏訪頼水から10代藩主諏訪忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城としてその威容を誇ってきた。
明治4年(1871)廃藩置県となり、明治8年(1875)廃藩置県によって天守閣は撤去され、翌明治9年(1876)5月高島城趾は「高島公園」として、一般に開放された。
朝夕の「時の太鼓」が鳴らなくなって100年、諏訪の住民の「高島城」に寄せる愛着は強く、昭和45年(1970)春、ここに「高島城」は復興された。
<現地案内板より>
持方月櫓跡(本丸東隅)
富士見櫓跡(本丸南東隅)
角櫓(復興)
小天守跡
冠木門(内側から)
冠木門
復興天守と内堀
諏訪湖(中央自動車道 諏訪湖SAより)
諏訪護国神社
〜明治33年(1900)創建。本丸の南端に建っており、
諏訪地方の戦没者が祀られている〜
天守閣
天守閣
本丸跡