但馬八木城
所在地 | 兵庫県養父市八鹿町八木 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 八木豊信 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・堀切 |
指定・選定 | 国指定史跡 |
訪城年月日 | 2011年3月13日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
本丸跡からさらに奥にある八木土城(詰めの城)跡を望む
本丸跡
本丸跡
〜奥の土壇は天守台であると考えられている〜
登山口
〜ここから城跡まで900m、徒歩約40分である〜
山麓にある案内板
但馬八木城
八木城は南北朝時代に始まる八木氏の山城で、標高330mの城山にあり、本丸には高さ9.3mの穴太流の石垣が残る。八木氏は室町時代に但馬守護の山名氏に属して活躍し、四天王の一人に数えられた。八木氏第15代の八木城主は八木但馬守豊信であったが、天正5年から8年にかけて、秀吉の弟、羽柴秀長に攻められて落城する。天正13年(1585年)豊臣秀吉から別所重棟が八木城主に任命され、別所吉治と続くが、慶長6年に丹波に移され廃城となる。
<現地案内板より>
八木城遠望(手前は八木川))
土城主郭跡から二の郭を見下ろす
土城主郭跡
〜標柱も説明板もない〜
土城主郭土塁
土城跡は本丸跡よりさらに500m奥に登る
本丸跡にある標柱と説明板
本丸櫓台石垣
本丸櫓台石垣
本丸櫓台石垣
二の丸跡
三の丸跡
〜この辺りから雪が積もっていた〜
本丸下の石垣