駿府城
所在地 | 静岡県静岡市葵区駿府城公園 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 徳川家康・頼宣・忠長 |
遺構 | 石垣・堀 |
指定・選定 | 日本100名城 |
訪城年月日 | 1998年8月8日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
発掘・復元された本丸堀(内堀)
駿府城
駿府城は、外堀・中堀・内堀の3重の堀を持つ輪郭式の平城です。本丸を中心に回字形に本丸・二ノ丸・三ノ丸と順に配置され、中央の本丸の北西角には、5層7階(外観5層内部7階)の天守閣がありましたが、寛永12(1635)年に焼失しています。
駿府城が城郭としてその姿を見せるのは、天正13(1585)年に徳川家康公が築城を開始したことに始まります。この天正期の駿府城は現在の城跡に比べるとひと回り小さいと考えられますが詳細は不明です。
この後、江戸幕府を開いた家康公が、慶長12(1607)年将軍を退き、駿府に移り住むために天正期の駿府城を「天下普請」として拡張・修築しました。
当時の駿府は江戸と並ぶ政治の中心地として重要な役割を果していました。
<現地案内板より>
二の丸堀(中堀、右手は巽櫓)
二の丸東御門(平成8年復元)
二の丸巽櫓(平成元年復元)