墨俣城
所在地 | 岐阜県大垣市墨俣町墨俣 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 木下藤吉郎 |
遺構 | なし |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2011年9月24日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
墨俣城
墨俣城は永禄9年(1566年)、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が織田信長の命を受けて築城したとされている。信長は美濃攻略の前線基地として墨俣に築城することを画策。当初、佐久間信盛や柴田勝家に築城を命じたが、この地は美濃領であったため、斎藤方に妨害され失敗していた。そこで、藤吉郎は蜂須賀小六ら地元の土豪(川並衆)の協力を得て築城に成功し、美濃攻略の足掛かりとした。数日間で築城が成されたため、「一夜城」とも呼ばれる。
天正14年(1586年)、木曽三川の大氾濫により木曽川の流路が現在の位置に変わったため、墨俣は戦略上の重要性を失い、以後は廃城となった。
平成3年、模擬天守が建造され、中は歴史資料館となっている。
天守入口
西側から見た天守
模擬天守(平成3年建造)と太閤出世橋
天守直下にある秀吉の像