信貴山城
所在地 | 奈良県生駒郡平群町信貴山 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 木沢長政・松永久秀 |
遺構 | 曲輪・空堀・土塁 |
指定・選定 | 町指定史跡 |
訪城年月日 | 2014年2月23日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
信貴山城跡遠望
信貴山城
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現地案内板の縄張図
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世
城郭。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な
例で貴重な遺跡。
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返された地である。古くは天智朝における高安城中心城域となり、
中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。
その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として整備される。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け、50日間籠城、10月10日に落城。
その後、廃城となる。
<現地案内板より>
信貴山城
二の丸の一段下にある三の丸跡
本丸の一段下にある二の丸跡
〜この場所はハイカーの昼食場所となっており、お昼どきは
写真撮影が難しい〜
現在本丸跡には朝護孫子寺の空鉢(くうはち)護法堂
が建っている
信貴山山頂の本丸跡
〜松永久秀の時代、この場所に四重の天守櫓が建っていた〜