佐和山城
所在地 | 滋賀県彦根市古沢町 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 磯野員昌・石田三成 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・井戸 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2001年5月4日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
本丸跡から彦根市街を望む
彦根城
↓
佐和山城
佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代初期に近江源氏佐々木定綱の6男時綱が、佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝える。その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。佐和山城は両勢力の境目の城として攻防が繰り返された。やがて湖北では京極氏に代わ
って浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。
信長・秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、安土城築城までの間、佐和山城が安土城の機能を維持した。秀吉の代も、堀秀政、堀尾吉晴、そして五奉行筆頭の石田三成の入城と、佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。この間、佐和山城はしだいに整備され、山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、山下には東山道に面して大手門が開き、2重に巡らされた堀の内外には侍屋敷・町屋そして足軽屋敷などの城下町が形成された。
<現地(山麓の龍潭寺付近)案内板より>
本丸跡に建つ城址碑
本丸跡
山麓にある井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)には
石田三成の像がある
佐和山城遠望
〜山自体は低いが登山道は急坂で非常にきつい〜