三田城
所在地 | 兵庫県三田市屋敷町・天神 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 九鬼久隆 |
遺構 | 堀・井戸 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2016年2月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
九鬼久隆(守隆五男)の墓
〜寛永10年(1633)、久隆は志摩鳥羽より三田へ移封となり、
以後九鬼家が明治維新まで三田を治めた〜
三田小学校(左)と有馬高校(右)との間にある内堀跡
三田小学校校門脇に建つ城址碑
〜小学校が本丸跡、有馬高校が二の丸跡であった〜
三田城
市立三田小学校校地は、江戸時代鳥羽より移封された藩主九鬼氏の城館跡である。県立有馬高等学校と三田小学校との間にある道沿い
の濠は、本丸館と二の丸との境の堀であった。九鬼氏以前の領主は荒木・山崎・有馬・松平と続いたがその居城は明らかではない。旧市民
病院裏の舌状高台あたりを「古城」と呼んでいるので、名のとおりそこであるかも知れない。三田が門前町として開けてきたところだといわれる
のは奈良時代に金心寺という大寺があったからである。城跡から屋敷町一帯にかけて古瓦や礎石・中世の石造物などが出土している。
<現地案内板より>
九鬼守隆(嘉隆次男)の墓
近くの心月院には九鬼家の墓所がある
内堀跡(左手は有馬高校)