桜尾城

 所在地  広島県廿日市市桜尾本町(桂公園)
 形式  平山城
 主な城主  藤原氏・桂元澄・穂井田元清
 遺構  なし
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2019年3月27日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

          陶晴賢の墓(洞雲寺)
~厳島合戦で敗れ自刃した陶晴賢は、桜尾城で首実験
された後、洞雲寺に葬られた~

歴代城主の墓がある洞雲寺(廿日市市佐方、城跡の北西)

現在、城跡は桂公園になっており、公園の入口に「桜尾城址
桂公園」の碑があるだけで、遺構は何も残っていない。

桜尾城

INDEX

  当城の地は鎌倉より厳島社家たりし藤原氏の拠る所にして、厳島神領の中心なり。城は直ちに海に臨みて内湾を扼し、東に岩戸尾、西に藤掛尾など七尾の諸城を従え、誠に要害の地なり。下りて、戦国の世、神領は東に武田、西に大内の狭間にあり、天文10年藤原興藤、戦い敗れて城に火をかけ、3百年の神主家ここに滅ぶ。のち大内、陶、毛利と相ついで城番を置くも、毛利の移封と共に廃城と化す。この間、折敷畑、厳島の合戦には毛利氏の拠点として世に知られしも、時移り山容改まり、往年の城姿を失う。
                                                                          <現地案内板より>

往時は三方を海に囲まれた海城であったが、昭和に入り、
周囲は完全に埋め立てられてしまった。

 概説

          穂井田元清の墓(洞雲寺)
~毛利元就の四男で、桂元澄の死後(1572年)、桜尾城主
となった。元清は1597年に桜尾城にて死去した~

         桂元澄夫妻の墓(洞雲寺)
~桂元澄は毛利元就の重臣で、厳島合戦(1555年)の
直前に桜尾城主となった~