さ い か
雑賀城
所在地 | 和歌山県和歌山市和歌浦中 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 鈴木重意(佐太夫)・重秀(雑賀孫一) |
遺構 | 曲輪 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2013年1月12日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
妙見堂(曲輪の跡か?)
山上南側にある養珠寺妙見堂
〜養珠寺は紀州徳川家初代頼宣の母養珠院の菩提寺であり、
妙見山の麓にある〜
雑賀城
雑賀城は、戦国時代に雑賀衆の有力者であった鈴木重意(しげおき、佐太夫とも)が築いたといわれるが、築城年代は不明である。織田信長と石山本願寺との戦い(石山合戦)において本願寺を支援したために信長と敵対。天正5年(1577)、信長の紀州攻めで、重意の子重秀(孫一とも)は得意の鉄砲攻撃で一度は織田軍を撃退したが、その後の攻撃で降伏した。しかし、信長が紀伊から撤退すると、再び反旗を翻した。天正13年(1585)、羽柴秀吉に攻められて降伏し、城はほどなくして廃城になったと思われる。
鈴木重秀(雑賀孫一)の墓碑
鈴木重秀(雑賀孫一)の墓
〜蓮乗寺(和歌山市平井)〜
千畳敷と呼ばれる主郭跡
登城口にある池(堀の跡か?)
雑賀城は妙見山という小山の上にあった
登城口(津屋公園)