大洲城
所在地 | 愛媛県大洲市大洲 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 宇都宮氏・藤堂高虎・脇坂安治・加藤氏 |
遺構 | 高欄櫓・台所櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓・ |
石垣・井戸 | |
指定・選定 | 県指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2011年10月9日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
天守(左側、平成16年復元)
台所櫓(右側、現存、重文)
天守と本丸石垣
本丸跡(本丸上段)
暗り門跡
〜ここに天守に至る最後の城門(櫓門)があった〜
井戸丸かま櫓跡
〜ここには二重のかま櫓が建っていた〜
本丸下段にある井戸丸跡
〜囲いの中に井戸がある〜
二の丸北東隅にある鉄砲櫓跡
〜鉄砲などの武器を収めていた二重の櫓が建っていた〜
大洲城
二の丸東端に建つ苧綿櫓(おわたやぐら、現存、重文)
大洲城は、鎌倉時代末期の元弘元年(1331)、伊予国に守護として入国した宇都宮豊房によって築城された。以後、237年間、宇都宮氏の居城であったが、戦国時代末期の永禄11年(1568)、毛利氏・河野氏連合軍に攻められて降伏、宇都宮氏は滅亡した。天正13年(1585)、豊臣秀吉が四国を平定すると、小早川隆景が伊予一国を与えられて湯築城(現松山市)に入城し、大洲城には隆景の弟秀包が入った。しかし
2年後に隆景が筑前に転封となり、代わって戸田勝隆が入封した。その後、文禄4年(1595)に藤堂高虎が、慶長14年(1609)、脇坂安治が入城し、藤堂・脇坂時代に近世城郭として整備され、天守などが建造された。元和3年(1617)、加藤貞泰が入封した後は、その子孫が12代続いて明治維新に至った。
天守内部
天守(左側)
高欄櫓(右側、現存、重文)