大野城

 所在地  福井県大野市城町
 形式  平山城
 主な城主  金森長近・松平氏・土井氏
 遺構  石垣・堀
 指定・選定  県指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2001年5月5日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  不可

大野藩第7代藩主・土井利忠の像
〜藩政改革を行い名君といわれた〜

本丸の門(復元)

本丸石垣と大野城の碑

  天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と原政茂の両名に平定させ、大野郡の3分の2を金森氏に、3分の1を原氏に与えたと言われています。金森氏は程なく亀山に平山城の城郭と、その東麓に、大野が北陸の小京都と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町を造り始めました。
  金森氏は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後城主は度々交替しました。江戸初期には松平氏、天和2年(1682)には土井利房が入封するに至り、廃藩まで土井氏が城主を務めました。
  当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天主と2層2階の小天主・天狗櫓等を置き、麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川をつないで城を守っていたようです。石垣は野面積みで積まれています。
  江戸時代には町の大火により、城も幾度か類焼し、安永4年(1775)には本丸も焼失しましたが、寛政7年(1795)に再建されました。廃藩後、城の建造物は取り壊され、城跡のみが残されました。現在の天守閣は昭和43年(1968)、旧士族の萩原貞氏の寄付により、往時を推定して再建されたものです。内部には金森氏・土井氏などの遺品を展示し、資料館として活用しています。

                                                                     <大野城パンフレットより>

大野城

INDEX

       大野城遠望
〜亀山と呼ばれる山の上にある〜

本丸跡に建つ金森長近の像

天守台石垣

大天守と小天守(昭和43年復興)

 概説