お こ う
岡豊城
三ノ段
四ノ段虎口に残る石積
所在地 | 高知県南国市岡豊町八幡 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 長宗我部国親・元親 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・空堀・竪堀・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2013年4月12日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(二ノ段下の歴史民俗資料館まで) |
岡豊城跡遠望(岡豊山)
四ノ段
三ノ段から詰に続く石段
詰に残る土塁
詰に建つ岡豊城跡の碑
詰下段と二ノ段の間にある空堀
詰下段と二ノ段の間にある井戸跡
歴史民俗資料館駐車場にある案内板
岡豊城跡は、四国を平定した長宗我部氏の居城として知られる中世の城跡です。長宗我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を拡げ、戦国大名へと成長していきました。
岡豊城の築城は発掘調査の結果、13〜14世紀ころと考えられています。『土佐物語』によると16世紀の初頭に一度落城したと伝えられており、その後、国親により1516(永正13)年に再興され、1588(天正16)年に元親が大高坂城(現在の高知城)へ移転するまでの、約70年間にわたり居城として使われていたといわれています。
岡豊山は、香長平野に突き出した丘陵であり、標高97mの頂上部(詰)に立てば、眼下に香長平野をおさめ、遠く太平洋も望むことができます。南には国分川が流れ、自然の要害の地でありました。
城跡は、詰を中心とする本城といわれる部分と西の伝厩跡曲輪、南斜面の伝家老屋敷曲輪の二つの出城からなる連郭式の構造となっています。本城は、詰と堀切によりへだてられた二ノ段、詰の南から西にかけて周囲を取り巻く三ノ段、四ノ段からなり、虎口(城の中心となる出入口)は西部に造られています。
発掘調査の結果、詰・詰下段・三ノ段では礎石建物跡や土塁の内側に石積みが発見されています。また、多量の土師質土器とともに青磁、白磁、染付と呼ばれる輸入陶磁器、瀬戸、備前、常滑などの国産磁器、渡来銭、小刀、また武器として火縄銃の部品(火挾)や弾丸などの遺物が出土しています。
岡豊城の整備にあたっては、発掘調査の成果をもとに詰、詰下段、二ノ段、三ノ段の土塁や礎石建物跡などを復元しています。
<現地案内板より>
岡豊城
歴史民俗資料館内
二ノ段の下に建つ歴史民俗資料館
伝 厩跡曲輪からの眺望(川は国分川)
伝 厩(うまや)跡曲輪
四ノ段の下に建つ城址碑
四ノ段の虎口
四ノ段の虎口
三ノ段
〜三ノ段には間仕切りの石積が残っており、城内最大の
見どころと言える〜
詰
詰(主郭)
〜建物の礎石が見られる〜
詰下段
二ノ段から詰へと続く橋と石段
二ノ段