置塩城
所在地 | 兵庫県姫路市夢前町宮置 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 赤松政則 |
遺構 | 曲輪・石垣・空堀・土塁 |
指定・選定 | 国指定史跡 |
訪城年月日 | 2006年6月24日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
登山口
〜時期的に草がボーボーで通路が目視できない。
ここから城跡までは徒歩40分程度かかる〜
室町時代の播磨守護職であった赤松氏の居城跡。夢前川の東側、標高370mの城山山頂に位置します。播磨地方で最大の山城で、遺構は
東西約600m・南北約400mもの範囲に広がっています。
一般には文明元年(1469)に赤松政則が築城したとされていますが、近年の調査研究の結果、城が本格的に整備されたのは16世紀後半の
赤松政村(晴政)・義祐・則房の頃であることが明らかになりました。なお、赤松氏は黒田官兵衛孝高が家老を務めた小寺家の主家に当たります。
その後、天正年間(1573〜1592)には廃城になったようです。
平成13〜17年度に行われた発掘調査では、城内の最高所にあたる伝本丸跡(第T−1郭)で天守的な性格をもつ建物が見つかりました。
また、伝二の丸跡(第U−1郭)などでは庭園を伴った礎石建物が発見され、屋敷が立ち並ぶ城下町的な景観が山上に広がっていたことが明らか
になりました。さらに、土器や陶磁器類、瓦などの遺物が1万点以上も出土したことも注目されます。
<現地案内板より>
置塩城
夢前川を挟んで西側にある浄安寺には2代目城主・赤松義村
の墓がある
置塩城跡遠景(置塩山、手前は夢前川)
南西曲輪群に残る大石垣
南西曲輪群に残る大石垣
茶室跡
北曲輪群
二の丸と三の丸の間の堀切
三の丸土塁(虎口部分)
三の丸跡
三の丸跡
台所跡
二の丸跡
二の丸北曲輪群
本丸下に残る石垣
城跡からの眺望(川は夢前川)
本丸跡
〜標柱は倒れ、ブルーシートと土のう袋が散乱する有り様で、
残念な限りである〜
茶室跡近くにある案内図
南曲輪群