小倉山城
本丸にも建物の礎石が残る
北駐車場に設置されている案内板
小倉山城縄張図(北駐車場案内板)
所在地 | 広島県山県郡北広島町新庄 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 吉川経基・国経・興経 |
遺構 | 曲輪・土塁・堀切・石積・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡 |
訪城年月日 | 2019年10月16日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
小倉山城説明板(拡大可)
南側郭と東側郭の間の堀切
御座所跡
〜城主の居館跡で城内最大の曲輪である〜
常仙寺(吉川興経菩提寺)跡
〜常仙寺跡は小倉山城から南へ5km、日野山城登城道
(円光寺西側)の途中にある〜
三の丸
西側郭(本丸下)
登城口
〜ここから城域(二の丸)まで徒歩2分ほどである〜
小倉山城
本丸に残る土留め用の石積
本丸
東側郭(本丸下)
南側郭には建物の礎石が残る
南側郭(本丸下)
二の丸から本丸へ続く切通し
二の丸(上段)
二の丸上段(上)
正和2年(1313)、吉川経高が駿河国入江荘から安芸国大朝荘に移住し、駿河丸城を築いて居城とした。経高から三代後の経見は、同じ
大朝荘内に小倉山城を築いて移り、以後は代々安芸吉川氏の居城となった。毛利元就の正室(吉川国経の娘)も明応8年(1499)に小倉山
城で生まれている。天文19年(1550)、毛利家から養子に入ってきた吉川元春が付近に日野山城を築いて居城を移したため、小倉山城は
廃城となった。
常仙寺跡説明板(拡大可)
吉川興経の墓
吉川興経の墓
吉川興経墓所(常仙寺跡)
本丸
門跡(南側郭)
三の丸
土塁(本丸下)
井戸跡(御座所跡)
御座所跡
御座所跡
本丸・二の丸・御座所跡の分岐点
二の丸(下段)
山道には見やすい道しるべが立てられている
登城口
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