大垣城
所在地 | 岐阜県大垣市郭町 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 竹腰氏・氏家氏・伊藤氏・戸田氏 他 |
遺構 | 石垣 |
指定・選定 | 市指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2000年11月5日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
左)乾隅櫓 中央)天守閣 右)戸田氏鉄銅像
大垣城
大垣城は古く応仁年間には東大寺城と呼び、当時の城主は大井荘のうち石包名という代官職をしていた大垣氏であったようです。そこでその城を大垣城というようになりました。その後天文4年、宮川安定が城郭を築き、弘治2年大垣城主氏家ト全が城郭の建築工事をほどこしました。天正13年9月、豊臣秀吉は一柳直末を大垣城主として天守閣の造営を命じました。この工事は天正16年7月になって完成し、その後改修を経て、以来この天守閣は4層4階建て総塗りごめ様式で大変優美な城として歴史のうえからも貴重なものでした。昭和11年国宝に指定され、郷土の博物館として親しまれてきましたが、昭和20年の戦災で惜しくも焼失しました。その後お城再建の気運が高まり、昭和33年5月着工、翌34年4月昔そのままの姿で竣工したのがこの天守閣です。
<現地案内板より>
乾隅櫓
乾隅櫓(水之手櫓とも、外観復元)
艮隅櫓(うしとらすみやぐら、外観復元)
戸田氏鉄(うじかね)の銅像
〜寛永12(1635)年、戸田氏鉄が摂津尼崎から10万石で
入封し、以後明治維新まで戸田氏が城主であった〜
七間多門跡
鉄門(くろがねもん)跡
西門(模擬)
東門
〜七口之門の1つである柳口門がこの場所に移築された〜