小田山城
所在地 | 福島県会津若松市門田町大字黒岩 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 蘆名氏 |
遺構 | 曲輪・土塁・堀切 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2018年4月19日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
田中玄宰墓の裏には「小田山城址」の碑があり、ここから尾根伝い
に進むと物見櫓跡がある。
物見櫓跡
砲陣跡から観た鶴ヶ城
~天守閣までの距離は直線で約1360mある~
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途中、会津戦争での新政府軍の砲陣跡がある
小田山登山道
~道は整備されていて歩きやすいが、道のりがだらだらと長い~
小田山史跡案内図
~登山ゲートからは車両通行禁止のため、山頂の城跡までは徒歩で行くことになる。城跡までの距離は約1.1kmある~
小田山城
蘆名氏は、三浦半島の佐原城を本拠とする佐原十郎義連が文治5年(1189)から20代義広が、天正17年(1589)磐梯山麓の摺上原で伊達政宗に敗北するまでの400年間、会津の領主となっていました。
蘆名氏は、政治や生活の場となる「黒川城」(現在の若松城)と、最後の砦となる「小田山城」を築いていました。
この城は、14世紀に築かれた山城で、16代盛氏が永禄11年(1568)に向羽黒山城(会津美里町)を築くまで蘆名氏の砦となり、小田山部分と青木山部分に分かれています。
小田山部分には、田中玄宰の墓を中心に、三日月状に平坦となった平場12段と約1メートルの土塁で囲まれた「曲輪」があり、物見櫓や建物が建てられ、「虎口」と呼ぶ門や柵、塀が取り囲んでいました。
<現地案内板より>
主郭上段には幕末の会津藩家老・田中玄宰(はるなか)の墓がある
主郭
主郭下段には幕末の会津藩家老・丹羽能教(よしのり)と
その一族の墓がある
主郭
~上段部と下段部に分かれている~
主郭虎口
新政府軍砲陣跡説明板