小田原城
所在地 | 神奈川県小田原市城内、城山 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直 |
遺構 | 石垣・水堀・空堀・土塁 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2008年10月20日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
大手門跡
〜三の丸への東の入口で、枡形門の石垣が残っているが、
石垣上の鐘楼は小田原城の遺構ではない〜
二の丸跡
〜二の丸には藩主の居館や行政を行う政庁となる
二の丸御殿が建っていた〜
銅門(平成9年復元)
内堀と銅門枡形
内堀と銅門枡形
二の丸の正門にあたる銅門(あかがねもん)
15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身で、その後戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の拠点として次第に拡張され、豊臣秀吉の小田原攻めに備えるために築造された、城下町を囲む延長9kmにおよぶ総構の出現により、城の規模は最大に達しました。
北条氏滅亡後徳川家康の家臣大久保氏が城主となると、城は改修され近世城郭の姿になります。大久保氏改易後に城は破却されますが、寛永年間に稲葉氏が城主となると、再び改修工事が実施され城の姿は一新します。大久保氏が再度城主となりますが、元禄16年に発生した地震により、天守をはじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失してしまいます。その後、本丸御殿等を除き再建され幕末にいたります。
明治3年小田原城は廃城となり、売却された後次々と解体されました。城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在にいたっています。また国指定史跡に指定され、今も整備が続けられています。
<小田原城パンフレットより>
北条幻庵屋敷跡にある幻庵廟所(小田原市久野1590)
〜北条幻庵は早雲の末子で、北条5代に仕えた一族の長老
的存在であった。北条氏が滅びる8ヶ月前にこの久野の館で
97歳で亡くなったとされる〜
幻庵屋敷跡には池庭や土塁の跡が残る
北条氏政・氏照の墓
〜小田原駅東側の繁華街(小田原百貨店本社横)にある〜
間 北条五代の墓
(右から早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直)
北条五代の墓がある早雲寺(場所は箱根湯本)
小田原駅前に建つ北条早雲の像
小峯の大堀切
八幡山に残る「小峯の大堀切」
小田原城の西方にある丘陵 「八幡山」
〜後北条氏時代の小田原城は八幡山一帯が中心部であった
と考えられている〜
幸田口門跡
〜三の丸への北の入口で、ここには土塁が残っている〜
天守より石垣山城跡を望む
天守より小田原市街・相模湾を望む
天守閣(西方向より)
天守閣(南面)
天守閣(東面)
本丸の北門(裏門)にあたる鉄門跡
天守閣(昭和35年復興)
本丸の正門にあたる常盤木門(昭和46年復元)
本丸跡
〜本丸には将軍が宿泊するための本丸御殿が建っていたが、
元禄16年(1703)の地震で倒壊し、その後再建されなかった〜
二の丸隅櫓(昭和10年復興)と内堀に架かる学橋
二の丸と本丸の間に架かる常盤木橋
〜橋の下には本丸を囲む水堀があった〜
御茶壺橋付近にある案内図
二の丸南側にある「御茶壺曲輪」
小田原城