二条城
所在地 | 京都府京都市中京区二条城町 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 徳川氏 |
遺構 | 二の丸御殿・本丸御殿・東南隅櫓・西南隅櫓・ |
門・土蔵・石垣・堀・庭園・井戸 | |
指定・選定 | 国指定史跡・世界遺産・日本100名城 |
訪城年月日 | 2013年1月6日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
北中仕切門(現存、重文)
慶長6年(1601年)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工され、翌年3月に完成した。京都の
守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠
の将軍宣下は、この二条城で行なわれた。
その後も、造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模は
もっとも拡大され、五層の天守閣もそなえていた。しかし、寛延3年(1750)、雷火のため天守閣を焼失、また、天明8年(1788)には、市中の
大火にあい、本丸殿舎、櫓の多くを焼失した。
文久3年(1863)、十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応3年(1867)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還
を決意し、上表の使者を出している。
明治4年、二の丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治26、7年には、本丸御殿跡に京都御所にあった
桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。昭和14年(1939)、京都市の所有に移り、史跡に指定された。
城構は、平城で、本丸・二の丸の二部よりなり、周囲には幅13mないし17mの濠をめぐらし、東西約480m、南北360mあり、国宝二の丸
御殿をはじめ、台所・御清所・東南・西南両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財がある。
<現地案内板より>
北大手門(現存、重文)
東大手門(現存、重文)
本丸西南隅櫓(現存、重文)
二の丸東南隅櫓(現存、重文)
本丸東側にある櫓門(現存、重文)
本丸御殿
本丸御殿(現存、重文)
内濠(東側)
二の丸庭園(特別名勝)
二の丸御殿(現存、国宝)
本丸東橋横にある縄張図
二条城
本丸西側虎口
二の丸御殿北方にある土蔵(現存、重文)
旧二条城(信長時代)の石垣
〜地下鉄建設工事の際、烏丸下立売で発見され、
この地に移設された〜
天守台
天守台