中村城

 所在地  高知県四万十市中村(為松公園)
 形式  平山城
 主な城主  為松氏・土佐一条氏・山内氏
 遺構  曲輪・石垣・堀切・土塁
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2022年3月21日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  

           為松城跡(本丸跡)
〜本丸は「為松城」と呼ばれており、城内最大(約800u)
の曲輪である〜

       郷土博物館最上階からの景色
〜中村の街と後川(四万十川の支流)が見渡せる〜

二の丸跡に建つ天守を模した郷土博物館
   〜犬山城をモデルに建造された〜

「桜の段」と呼ばれる曲輪らしき平場

郷土博物館(二の丸跡)内説明板に描かれた見取図

中村城

INDEX

  応仁2年(1468)、前関白一条教房は応仁の乱の戦火を避けるため、一条氏の荘園であった土佐国中村に下向した。中村城はこの地方の
国人領主で一条氏の家老となった為松氏によって築かれたが、築城時期については不明である。一条氏は平地の居館(中村御所)に住んだ
ため、中村城はその詰の城であったと考えられる。教房から4代後の兼定の時、土佐統一を目指す長宗我部元親に攻められ滅亡した。関ヶ原
の戦い後、長宗我部氏に替わって山内一豊が土佐一国の領主となり、一豊の弟康豊が入城したが、その後江戸幕府による一国一城令のため
廃城となった。

「中ノ森」と呼ばれる曲輪

    為松城跡の碑(拡大可)
〜為松城の説明が記されている〜

為松城跡(本丸跡)

二の丸土塁

二の丸跡に残る土塁

二の丸の石碑

二の丸跡

中ノ森の土塁

「東城」と呼ばれる曲輪(三の丸)

三の丸の石碑

 概説

石垣前に建つ城址碑

    為松公園の入口に残る石垣
〜山内氏時代の遺構と考えられている〜