な ぐ る み
名胡桃城
所在地 | 群馬県利根郡みなかみ町下津 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 真田昌幸 |
遺構 | 曲輪・堀切・土塁・土橋 |
指定・選定 | 県指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2022年10月20日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可 |
三郭〜二郭間の木橋(木橋の下は土橋)
本郭
〜長さ約51m、幅約30mの洋梨形である〜
本郭
二郭建物跡
馬出〜三郭間の堀切
般若郭
三郭
〜広さは約64×26mある〜
三郭
般若郭
〜現在は駐車場になっているが、長さ約85m、幅約56mあり、
城内最大の郭である〜
名胡桃城
本郭〜ささ郭間の堀切
ここ名胡桃城は、群雄割拠の戦国時代を勇猛に駆け抜けた真田昌幸が築いた上野国利根郡の山城で、10年ほどの歴史にもかかわらず、
ここを舞台とした小さな事件が乱世を終わりに向かわせることとなりました。
この時期の利根沼田地方は上杉氏・武田氏・北条氏による争いが繰り広げられていましたが、天正7年(1579)頃、真田昌幸が吾妻方面
から進出し境目城として名胡桃城を築き、翌年には沼田城を手中に収めました。
天正17年(1589)、豊臣秀吉は北条氏政・氏直親子と真田昌幸による北毛地域の領地争いを裁定しましたが、同年、真田領に残された
名胡桃城を北条氏の家臣が攻略してしまいました。それをきっかけに翌年、豊臣秀吉は小田原北条氏を滅ぼし、事実上、天下統一を果した
のです。その後、名胡桃城は廃城になりました。
<現地案内板より>
二郭北虎口と復元土塁
二郭〜本郭間の空堀と木橋(木橋の下は土橋)
ささ郭奥にある物見台からの遠望
ささ郭
〜本郭のさらに奥にある郭(長さ約31m、幅14m)で、
通路奥部には搦手門があった〜
本郭
本郭に建つ城址碑
本郭に建つ城址碑
二郭〜本郭間の木橋
二郭北虎口と櫓台
三郭〜二郭間の堀切
馬出
馬出
城址入口
縄張図(城址入口に設置された案内板より)
二郭
〜約65×50mの台形になっている〜
二郭
二郭南虎口