長篠城
所在地 | 愛知県新城市長篠市場 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 菅沼元成・奥平信昌 |
遺構 | 曲輪・空堀・土塁・石垣・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | @2000年11月4日 |
A2013年12月1日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
長篠城は宇連川(右)と寒狭川(左)の合流点の断崖絶壁の地に築かれていた
野牛郭井戸跡
野牛郭跡
長篠城
長篠城は、永正5年(1508)に奥三河の土豪菅沼元成が築城した。菅沼氏は今川氏に属していたが、今川義元が桶狭間の戦いで討死すると、徳川家康に属した。元亀2年(1571)、城主が菅沼正貞の時、武田信玄に攻められて屈服するが、翌々年の天正元年(1573)、今度は家康に攻められ、正貞は信濃へ逃れた。その後、家康は武田氏の侵攻に備えて城を拡張した。天正3年(1575)、武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城を取り囲んだ。城方は奥平信昌以下わずか500の兵でよく持ちこたえ、やがて織田信長・徳川家康連合軍3万8千が救援に駆けつけ、長篠の戦いとなった。戦後、信昌は新城(しんしろ)城を築いて移り、長篠城は廃城となった。
大手門跡
家老屋敷跡
瓢(ふくべ)郭跡
巴城(はじょう)郭跡
弾正郭跡
本丸と弾正郭の間にある不忍(しのばず)の滝
野牛(やぎゅう)郭跡
本丸と二の丸の間の空堀
長篠城址史跡保存館(二の丸跡)
本丸虎口に建つ城址碑
本丸と二の丸の間の空堀
本丸と二の丸の間の空堀
本丸跡
本丸跡