村上城

 所在地  新潟県村上市本町
 形式  平山城
 主な城主  本庄繁長・村上頼勝・堀直寄
 遺構  曲輪・石垣・竪堀・井戸
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日   2021年4月12日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

坂中門跡

帯曲輪

冠木門跡

三の丸玉櫓(月見櫓)跡

           三の丸跡
〜「調練場跡」と書かれた標柱が建っている〜

            本丸跡
〜本丸の北側に秋葉神社があったようだが、
現在は鳥居と石碑しかない〜

              本丸天守跡
〜三層の天守が建っていたが、寛文7年(1667)の落雷に
よって焼失し、以後再建されなかった〜

出櫓跡

二の丸跡

御鐘門跡(二の丸虎口)

登城口(臥牛山西麓)に建つ城址碑

               四ツ門跡
〜この門から三の丸(左方向)、二の丸(右方向)へ至る〜

          一文字門跡(登城口)
〜ここから山上の城跡までは徒歩10分ほどである〜

七曲り道(近世の大手道)

村上城

  村上城跡は標高135メートルの臥牛山を中心に広がり、築城年代は16世紀初頭と推定される。
  城主は国人領主の本庄時長であり、以降、房長・繁長と戦国期3代にわたる居城となる。
  江戸期の元和4年(1618)には、徳川譜代の堀直寄が10万石で入封し、縄張りを行い、山上の曲輪を拡張し、石垣を築くなど、それまでの
中世的な城を近代城郭へと変貌させた。
  総構えの規模は、南北1.4km、東西2.3km。山上は本丸、二の丸及び三の丸から成り、西側山麓には城主居館が配され、東側には大小
の曲輪が設けられていた。
  慶安2年(1649)、譜代の松平直矩が15万石で入封すると、家臣数の増加に伴い、再び城と城下の改築に着手する。現存する石垣の多く
が、このとき積み替えられたものと推定される。
  村上城跡は、地形を巧みに利用した戦国期の遺構と、新潟県下最大規模の江戸期の石垣とが共存していることが他に類を見ない最大の
特徴であり、中世と近世の両方の遺構を散策することができる。
                                                                         <現地案内板より>

村上城縄張図(四ツ門跡付近にある案内板より)

INDEX

馬冷やし場(千貫井戸)

           埋門跡(冠木門跡南側)
〜ここから「中世散策コース」と呼ばれるルートが伸びており、
中世村上城の遺構を見ることができる。近世は搦手道で
あったが、中世では大手道であったと考えられている〜

本丸跡から出櫓跡、二の丸跡方面を望む

本丸北端の隅櫓跡(石垣上)

本丸多聞櫓跡

            天守跡からの絶景
〜村上市街が一望でき、その向こうに日本海が見える〜

本丸石垣

本丸石垣

本丸石垣

黒門跡(本丸と二の丸の間の門)

三の丸靭櫓(ゆきやぐら)跡

近世城主居館跡

近世城主居館跡(登城口周辺)

登城口に設置された説明板

 概説

帯曲輪

埋門跡にある「戦国時代の村上城」説明板(拡大可)

本丸跡

本丸跡

冠木門跡(本丸虎口)

本丸跡

七曲り道を登りきると多聞櫓の石垣が!