本与板城
所在地 | 新潟県長岡市与板町本与板 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 飯沼氏・直江景綱 |
遺構 | 曲輪・堀切・土塁・井戸 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2021年4月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可 |
二の郭〜三の郭間の堀切
実城土塁
〜二重構造になっている〜
登城道は切通しになっている
実城に建つ城址碑
実城(本丸)
縄張図(本丸跡に設置された案内板)
本与板城
実城〜二の郭間にある井戸跡
〜草木に覆われていて確認できなかった〜
本与板城の築城時期は定かではないが、室町時代は越後守護上杉氏の重臣飯沼氏の居城であった。戦国時代に入り、永正4年(1507)、
守護代であった長尾為景(上杉謙信の父)が守護上杉房能に謀反を起こし(永正の乱)、守護側であった飯沼氏は滅亡した。その後、本与板城
は飯沼氏の家臣であった直江親綱の城となり、親綱の子景綱は上杉謙信の宿老となって主に内政・外交面で活躍した。景綱の死後、天正6年
(1578)頃、景綱の娘婿となっていた信綱は与板城を築いて移ったが、本与板城がその後も存続したのか廃城になったのかは不明である。
南郭
三の郭
実城から見える景色
〜信濃川が見える〜
実城
実城に建つ城址碑と案内板
実城、二の郭・三の郭の分岐点
実城虎口
実城〜二の郭間の堀切
二の郭
〜あまり整備されていない〜
実城土塁
登城口
〜城跡までは歩いて5分程である〜
登城口の手前に駐車場がある