三石城
所在地 | 岡山県備前市三石 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 浦上村宗・宗景 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2010年4月6日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(城山入口駐車場まで) |
本丸跡
本丸跡
大手門付近の石垣
本丸と鶯丸を区切る堀切
鶯(うぐいす)丸跡
本丸跡にある縄張図
三石城は元弘3年(1333)地頭の伊東氏により築かれたと「太平記」にある。その後、浦上宗隆が備前守護代として入り、以後浦上氏の拠点となった。浦上氏は、村宗の代に備前東部から播磨西部にかけてを領するまでになったが、その死後領地が二分され、備前東部を受けついだ宗景が享禄4年(1531)天神山城へ移り、三石城は廃城となった。
城内には、当時の遺構が良く残っており、頂上部の本丸(標高291m)から南西に二の丸・三の丸がのび、本丸の北側には堀切をはさんで独立の曲輪がある。本丸の南西側面には大手曲輪が設けられ、当時の石垣が良く残っている。二の丸・三の丸の北側にそって馬場があり、一段下の大手曲輪との間に池が設けられている。城内には七基の井戸があり、特に三の丸の南にある井戸は「千貫井戸」と呼ばれ常に涸れることがない。また、城の外郭線の山陽道側には二箇所の見張所があり、外敵の侵入を監視するようになっている。
城内から、当時使われていた備前焼大甕や小皿片が出土しており、その一部が備前市歴史民俗資料館に展示されている。
<現地案内板より>
三石城
大手門付近の石垣
大手門付近の石垣
大手門跡
馬場跡
三の丸跡
二の丸跡からの眺望
二の丸跡
本丸跡に転がる軍用石
三石城跡遠望(JR三石駅前より)