水口城

本 丸

 所在地  滋賀県甲賀市水口町本丸
 形式  平城
 主な城主  加藤氏
 遺構  石垣・堀
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日   2016年3月20日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

出丸の北側にある本丸平面図

INDEX

出丸に建つ隅櫓を模した資料館
〜番所があった場所とされる〜

出 丸

  水口は都から伊勢へ通じる交通の要所にあり、中世後期にはすでに町並が形成されていましたが、天正13年(1585)には羽柴秀吉の命により水口岡山城が築かれ、その城下町として発展を見せました。
  関ヶ原合戦後、この地を直轄地とした徳川家康は、水口を東海道の宿駅に指定しました。そして家康はしばしばこの地を通行し、宿内の大徳寺などに宿泊しています。
  寛永11年(1634)3代将軍家光は上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館を築かせました。これが水口城です。作事奉行には建築や造園、茶道などで知られる小堀遠江守政一(遠州)があたりました。
  城は堀と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられました。その建物構成は京都二条城に共通し、数寄をこらしたものでした。
  その後、幕府の任命した城番が管理する番城となりましたが、天和2年(1682)には加藤明友が入封し水口藩が成立、水口城はその居城となり明治維新に至りました。
  維新後は廃城となり、建物や石垣の大半は撤去されましたが、本丸敷地のみは保存され、昭和47年(1972)滋賀県の史跡に指定されま
した。
  平成3年(1991)出丸の部分に矢倉が復元され、「水口城資料館」として開館いたしました。
                                                                         <現地案内板より>

水口城

内堀(南側より)

外側から見た出丸

外側から見た出丸

外側から見た出丸

資料館に展示されている本丸御殿の模型

      水口高校のグランド
〜この場所に本丸御殿が建っていた〜

現在、水口城は本丸東側の出丸(外枡形)の部分だけが
復元されている

 概説

              大手御門
〜この門の向こうが本丸であったが、現在は県立水口高校
のグランドになっている〜

出丸の内側