三河亀山城

 所在地  愛知県新城市作手清岳字城山
 形式  平山城
 主な城主  奥平氏
 遺構  曲輪・空堀・土塁
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2018年5月16日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

武家屋敷跡

亀山城

INDEX

二の丸下の堀底道

二の丸虎口

二の丸虎口

本丸南側土塁

「亀山城址」の碑(本丸跡)

              本丸跡
〜東西60m、南北28mの広さがあり、周囲は土塁で
囲まれている〜

本丸跡

亀山城縄張図

  天授年中(1375〜80)上野国甘楽郡奥平郷より奥平貞俊作手に至る。
  作手領主山崎三郎左衛門高元を頼り鴨ヶ谷甘泉寺に寓居し、勢力人望を得て川尻城を築き更に亀山城を築きこれに移る。
  初代貞俊以降2代貞久3代貞昌4代貞勝5代貞能まで5代166年間この地に住し長篠の戦の3年前天正元年8月20日所謂田原坂石堂ヶ根の戦を最後に嫡子貞昌信昌と共に作手を去り、貞昌は長篠の城将となって武田の若き主将勝頼と日本戦史に名を残す長篠の戦をなすに至る。
  その後、信昌は新城城主となり更に関東移封となったが、慶長7年(1602)信昌の四男松平下総守忠明(後に大阪城・姫路城の城代となる)が作手藩1万7千石に封ぜられ城は復活したが同15年伊勢亀山城に移るに及び廃城となった。
  今なお土塁には中世築城の特徴を残す奥三河屈指の城址である。

                                                                          <現地案内板より>

城跡遠望

城跡遠望

東曲輪

西曲輪

二の丸跡

本丸東虎口

本丸西虎口

 概説

武家屋敷跡

本丸下の腰曲輪

二の丸下の堀底道

本丸南側空堀

本丸北斜面上に設置されている城址看板

本丸からの眺望