松坂城
所在地 | 三重県松阪市殿町 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 蒲生氏郷・古田重勝 |
遺構 | 石垣・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2012年11月8日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
月見櫓石垣
裏門跡にある縄張図
松坂城
松坂城は、蒲生氏郷が天正16年(1588)この四五百森に築城した平山城である。
蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠、文禄4年(1595)に古田重勝と城主が変わり、元和5年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統括する城代が置かれてきた。
城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。
また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(徳川陣屋)があった。
明治14年(1881)松阪公園となり、現在に至っている。
<現地案内板より>
隠居丸の高石垣
天守閣跡
〜ここに三重の天守が建っていたが、正保元年(1644年)
に台風で倒壊し、以後再建されることはなかった〜
本丸上段にある金の間櫓の石垣
本丸上段
〜ここには本丸御殿が建っていた〜
本丸上段
〜石碑の後ろに井戸がある〜
本丸上段虎口
きたい丸石垣
きたい丸跡
〜きたい(希代)丸という名称は古田重勝の子・重恒の幼名
にちなんで名付けられたという〜
月見櫓跡
中御門跡(本丸下段虎口)
太鼓櫓石垣
二の丸の高石垣
二の丸跡
裏門跡
表門跡
最高所の天守台
敵見櫓の石垣