丸亀城

 所在地  香川県丸亀市一番丁
 形式  平山城
 主な城主  生駒親正・山崎家治・京極高和
 遺構   天守閣・大手一の門・大手二の門・
 玄関先御門・番所・長屋・井戸・石垣・堀
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日   @1981年7月29日
 A2014年4月15日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B  D E

天守遠望(芝生広場より)

           本丸南東隅櫓跡
〜本丸の四隅にそれぞれ二重の隅櫓が建っていた〜

天守

天守

三の丸跡

三の丸高石垣

三の丸高石垣

内堀(北側)

大手登城口にある案内板

  丸亀城は、生駒氏が慶長2年(1597)から5年をかけて西讃岐の支配のため築城したが、一国一城令により廃城となった。その後、生駒氏の転封により讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として山崎氏がその城跡に、寛永20年(1643)より築城を開始した。
  現在のほとんどの石垣は、山崎氏によって造られたと考えられる。山崎氏絶家後は京極氏が入封し、明治維新を迎える。
  標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って行く縄張りとしている。山上部にはかつては現存する天守を含め12の櫓とそれらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園などがあった。また、外堀の内側には武家屋敷を置き、大手口や搦手口には家老屋敷を配置して守りを固めていた。
  天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、大手門や御殿門も現存している点は貴重である。また、緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれる高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。

                                                                          <現地案内板より>

丸亀城

INDEX

天守最上階

天守(現存、重文)

本丸跡

本丸虎口

本丸石垣

二の丸跡

二の丸虎口

二の丸長崎櫓石垣

二の丸石垣

三の丸高石垣

山下部にある大手二の門(現存、重文)

 概説

         山下部搦手に残る野面積み石垣
〜生駒氏時代の石垣と考えられ、城内で最も古い石垣である〜

三の丸月見櫓跡からの眺望
〜正面に「讃岐富士」を望む〜

三の丸月見櫓跡

山下部にある大手一の門(現存、重文)

  山下部にある玄関先御門(現存)
〜藩主京極氏の屋敷の表門である〜