こ う や ま
高山城
所在地 | 鹿児島県肝属郡肝付町新富 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 肝付兼続 |
遺構 | 曲輪・空堀・土塁 |
指定・選定 | 国指定史跡 |
訪城年月日 | 2023年4月13日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
本丸跡
肝付氏歴代の墓(肝付町前田746付近)
〜高山城より北西約5kmの盛光寺跡にある〜
肝付氏歴代の墓 説明板(拡大可)
湯沸場跡
枡形背後にある「枡形」と呼ばれる曲輪
二の丸跡
山伏城跡
〜山伏城と呼ばれている曲輪で、加持祈祷を行なった場所と
考えられている〜
大来目神社
大来目(おおくめ)神社
〜肝付氏の氏神・軍神として建てられたという〜
大手口
〜ここから本丸跡まで徒歩10分程度である〜
高山城
高山城は14世紀から16世紀(南北朝〜戦国時代)にかけて大隅地域を支配していた肝付氏の拠点として使われていた山城で、昭和20年
2月22日に国指定史跡となっています。
石垣や水堀などはありませんが、南九州特有のシラスを直角に削るという工法で、ほぼ山一つ(約30,000u)という広大な範囲を城に変えて
います。南九州の中世を考えるうえで、高山城は非常に重要な文化財の一つです。
高山城では、肝付氏と島津氏との戦が、2回行われていますが、肝付氏はこれを防ぎきっており、高山城には優れた防御力があったことが
伺えます。
<現地案内板より>
左)13代兼連(忠能)の墓
右)14代兼久の墓
奥曲輪
本丸と奥曲輪の間にある馬場跡
本丸土塁
本丸跡
本丸跡
本丸手前の枡形跡
二の丸説明板
二の丸跡
搦手門跡
本丸と二の丸の分岐点
大手門跡(内側から)
球磨屋敷跡
〜永正3年(1506年)、島津忠昌が高山城を攻めた際、
肝付氏の援軍として駆けつけた球磨人吉の相良氏の兵が
籠城した場所とされる〜
大手口手前にある馬場跡
城跡遠望
登城口
〜肝付町本城集落センター(駐車可)奥より登城〜
左)16代兼続正室(阿南御前、島津忠良長女)の墓
右)17代良兼の墓
山伏城の東側にある空堀
山伏城の東側にある空堀
〜堀底は通路であったそうだが、草木に覆われて通れない〜
大手門跡(外側から)
高山城縄張図(現地案内板)