こ う の だ い
国府台城
所在地 | 千葉県市川市国府台(里見公園) |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 里見氏・北条氏 |
遺構 | 空堀・土塁・井戸 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2023年10月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
空堀と土塁とおぼしき地形が残るが、後世の改変が甚だしく、どこが主郭部であったか等、縄張がわからなくなっている。
別の土塁上には、第二次国府台合戦で敗れた里見軍戦死者
の慰霊碑(写真左)と夜泣き石(写真右)がある
石棺
〜市川市の有形文化財に指定されている〜
明戸古墳石棺の説明版(拡大可)
城跡には築城以前から明戸(あけど)古墳という前方後円墳
があり、土塁上に石棺が残っている。
土塁
土塁
国府台城
国府台城は、文明11年(1479)に太田道灌の弟・太田資忠らによって築かれたとされる。この地は、江戸川を挟んで下総と武蔵の国境に
あたり、戦国時代には安房里見氏、相模北条氏らの争乱の舞台となった。天文7年(1538)、足利義明(小弓公方)が里見義堯らを率いて北条
氏綱と国府台で戦って敗北(第一次国府台合戦)。永禄7年(1564)には、里見義堯の子義弘が北条氏康と戦って敗れ(第二次国府台合戦)、
以後、この地は北条氏の領地となった。天正18年(1590)の北条氏滅亡後、江戸に入封してきた徳川家康によって国府台城は廃城とされた。
昭和33年、城跡は里見公園として開園し、以来、市民の憩いの場所となっている。
「夜泣き石」伝説の説明版(拡大可)
里見軍戦死者慰霊碑の説明版(拡大可)
江戸川沿いにある駐車場に駐車し、階段を上がり、公園の北側入口から入った。