岸岳城

 所在地  佐賀県唐津市北波多岸山・相知町佐里
 形式  山城
 主な城主  波多 親(はた ちかし)・寺沢広高
 遺構  曲輪・石垣・堀切・竪堀・井戸
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日  2024年4月18日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  

井戸

               二の堀切
〜現在見られる岸岳城の石垣は寺沢氏時代(文禄・慶長期)
に築かれたものと考えられている〜

        二の堀切
〜三の丸と二の丸を区切っている〜

        三の堀切
〜木橋を渡った先は三の丸である〜

              三の堀切
〜登山口から登り始めて15分程で三の堀切が現れる〜

本丸東端石垣

本丸東端石垣

本丸東端に残る石垣

     本丸に建つ城主・波多親の慰霊碑
〜中央の碑に波多三河(波多親の官位は三河守)の
名が記されている〜

本丸

大手門跡

大手門跡(二の丸東部)

井戸

井戸(二の丸)

        伝 埋め門(二の丸)
〜門にしては小さすぎる。排水口の跡か?〜

二の丸

二の丸

二の堀切

      三の丸
〜細長い形状をしている〜

三の丸

道しるべに従って進む

道しるべに従って進む

           山の中腹にある登山口
〜ここまでは車で上がって来ることができる。左側道路の先
に駐車場があり、右側道路の先に登山口がある〜

岸岳城は標高320mの岸岳山頂に築かれていた

岸岳城

INDEX

  上松浦党の棟梁、波多氏17代(450年間)の盛衰を秘めた山城で、鎌倉時代の築城と伝えられています。北波多・相知町両町村境に所在
する標高約300メートルの峻峰を「岸岳」といい、その山頂尾根上に延々1キロメートルにわたって築かれています。本丸・二の丸・三の丸・
三左衛門殿丸、大手門、水の手曲輪などの伝承地が存在し、石垣・曲輪・竪堀等の遺構が良好に残っています。壮大な石垣は戦国時代以降に
築かれたものですが、中世山城の面影を残す貴重な城郭遺跡です。武家屋敷跡と伝えられる「茶園の平」では、発掘調査により掘立柱建物跡が
確認されています。
豊臣秀吉の命により波多氏が滅びて400余年、荒城に立ち往時を偲べば、勇名をはせた松浦党の活躍が彷彿として脳裏によみがえります。
                                                                           <現地案内板より>

本丸東端石垣

登山口に設置された案内板

 概説

本丸