桐原城

 所在地  長野県松本市入山辺
 形式  山城
 主な城主  桐原氏(小笠原氏家臣)
 遺構  曲輪・石垣・竪堀・堀切・土塁
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日  2020年10月14日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

           主郭
〜標高952m・比高190mの位置にある〜

主郭

3郭から見た副郭下の石積

石積

「石積された郭」

「石積された郭」

C

B

A

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主郭背後の堀切

主郭から背後の大堀切を見下ろす
〜急崖で降りて行くのは危険!〜

            虎口
〜虎口の向こうには小郭群が続いている〜

   追倉沢登山口(大手口)
〜ゲートの手前に駐車できる〜

城址案内地図(桐原城址愛護会製作資料より)

  桐原城は入山辺桐原の海岸寺沢と追倉沢に挟まれた尾根の中腹にあり、『信府統記』によれば寛正元年(1460)に築かれた桐原大内蔵
真智の居城で、真実、真貞、真基の4代にわたって相伝されたという。桐原の地は、古代には後院領の桐原牧が置かれたところで、桐原氏は
荘園と化した桐原庄を治めた在地の荘官が土着したものと考えられる。城の東側の海岸寺沢沿いには、松本平最古の木造彫刻である千手
観音立像(長野県宝)を伝える旧海岸寺がある。
  桐原城に関しては、複数の絵図が残されている。松本市立博物館が所蔵する「桐原城古図」は、おそらく江戸時代の山論の資料として筆写
されたものであろうが、麓に城主桐原氏の居館跡と思われる「御屋鋪」と記された枡形を備えた石囲いが描かれている。
  主郭の規模は、東西約29メートル、南北約27メートルで、周囲を鉢巻状の石積みで補強した土塁で防御し、主郭背後は四重の堀切で固め
ている。正面に当たる東側の郭にも石積みが多用され、西側山麓には菩提寺とみられる蓮法寺跡があり、ここにも郭周辺と同時期のものと
推定される高さ2メートルに及ぶ石積みが残されている。
  桐原城は、天文19年(1550)7月15日、武田氏府中に攻め込んだ際、林大城とともに自落したと伝えられる。現在残る石積みを多用した
城郭遺構は武田氏滅亡後に改修されたものと考えられる。
  桐原城跡は、長野県を代表する山城として、昭和55年に、小笠原氏城跡(林大城、同小城、埴原城)に、山家城とともに追加指定されている。
                                                                          <主郭案内板より>

「石積された郭」

桐原城

INDEX

主郭背後堀切の石積

登山道途中にあった分岐点まで戻り、主郭の背後に回る

主郭下の石積

主郭下の石積

主郭下の石積

副郭

        副郭
〜正面石積の上が主郭になる〜

副郭虎口

副郭下の石積

4郭

土橋を渡ると「石積された郭」が現れる
〜いよいよ城の中枢部に入って来た〜

竪堀を渡る土橋

竪堀(上から見下ろす)

          竪堀(下から見上げる)
〜大手口付近で見た竪堀が何とここまで続いている〜

二重堀切の一条

小郭群の先には再び二重堀切がある。ここを過ぎると道は
二手に分かれ、左へ折れると主郭方面へ、直進すると主郭
背後の大堀切に至る。まずは主郭方面を目指す。

二重堀切の一条

さらに5分ほど登ると二重堀切が現れる

竪堀から5分ほど登ると、この地点から道は方向を変え、
主郭方面に向って直登する

追倉沢登山口にある説明板(拡大可)

ゲートを開けてすぐに右手の山道を登る。
主郭まで直行で20分ほどである。

追倉沢側の登山口から登る(右へ)

海岸寺沢登山口にある説明板(拡大可)

          海岸寺沢側の登山口
〜ここから登る道は途中で道がわからなくなるとの情報が
あったのでスルーした〜

 概説

主郭虎口

山道を登り始めてすぐに見事な竪堀が!