き い だ に
城井谷城
城井谷城
所在地 | 福岡県築上郡築上町寒田 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 城井(宇都宮)鎮房 |
遺構 | 岩門・曲輪 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | @2001年10月7日 |
A2019年4月11日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E (裏門はB) |
車での登城 | 可(表門付近まで) |
城井氏3代の墓(天徳寺)
〜左から18代長房、19代鎮房、20代朝房と並ぶ〜
城井氏の菩提寺である天徳寺(築上町本庄)
〜正慶元年(1332)、5代当主頼房が建立した〜
主郭奥からは裏門に至る道が伸びている
主郭に向かう途中にある炭焼窯跡
〜昭和30年代終わり頃まで使われていた〜
裏門番人の穴
主郭虎口(内側から)
主郭虎口
〜左右の巨石が扉のように見える〜
表門(外側から)
〜登城口から歩き出してすぐにこの表門が立ちはだかる。天然の巨岩を利用しており、人一人が通るのがやっとである〜
主郭跡
城井谷城絵図(現地案内板)
城井ノ上城(きいのこうじょう)とも呼ばれる。鎌倉時代初期、幕府から豊前守護に任命された宇都宮信房が築城し、以後約400年にわたって宇都宮氏の本拠となった。また、宇都宮氏は後に姓を城井(きい)氏と改めた。天正14年(1586)、城井鎮房(しげふさ)の時、豊臣秀吉の九州征伐が行われ、秀吉の臣下となった。翌天正15年、秀吉から伊予への領地替えを命じられるが、鎮房はこれを固辞して籠城。そのため、当時、中津城主となっていた黒田孝高の子長政に城を攻められたが撃退した。翌天正16年、長政から和議を持ちかけられて中津城に出向き、酒宴の席にて謀殺された。さらに、城井谷城を攻撃されて鎮房の父長房も討ち取られ、城井氏は滅亡した。
城井氏館跡案内板(県道237号線沿い)
城井氏居館跡(築上町松丸、県道237号線より遠望)
城井氏霊廟(天徳寺)
城跡近くに建つ宇都宮(城井)一族の碑
裏門からの眺望
裏門
第二の門(内側から)
表門(内側から)
裏門
裏門直下の岩壁
〜急すぎて鎖を伝ってしか登れない〜
裏門
主郭跡にある城井上神社
〜神社といっても祠(ほこら)があるだけ。
城主・城井氏を祀る〜
主郭跡
主郭跡
登城口にある表示板
登城口
第二の門(外側から)