葛西城
所在地 | 東京都葛飾区青戸 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 遠山綱景(北条氏康家臣) |
遺構 | 埋没(堀・溝・井戸) |
指定・選定 | 都指定史跡 |
訪城年月日 | 2023年10月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
御殿山公園内に建つ「青砥藤綱城跡」の碑。鎌倉時代中期
の武士・青砥藤綱の城があったとされる。
葛西城縄張図
現在、城跡は環七通り(都道318号線)が縦断しており、道路の西側が御殿山公園、東側が葛西城址公園となっている。
城の説明板は御殿山公園にある。
葛西城は、中川の沖積微高地上に築かれた平城である。沖積地に存在しているため、地表で確認できる遺構は認められない。
築造者と築造の年代については不明であるが、天文7年(1538)2月には、北條氏綱によって葛西城が落城されたという記録(『快元僧都記』)
があり、この後、葛西城は後北條氏の一支城となり、幾多の争乱の舞台となった。
後北條氏の滅亡後、葛西城は徳川氏の支配下に入り、葛西城の跡は、将軍の鷹狩の際の休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていた。
この葛西城が再び注目されるようになったのは、昭和40年代後半のことである。昭和47年から発掘調査が行われ、その結果、主郭を区画
している大規模な堀、溝、井戸跡等が検出され、陶磁器、木製品等が出土し、中世の城郭の存在が明らかにされた。
東京都内には、中世城館跡が多数存在している。沖積地に存在している城館跡は、地表にその痕跡をほとんど残さないことから内容が不明の
ものが多いが、葛西城の存在は、発掘調査によって明らかにされており、戦国の騒乱を語る上で欠かすことのできない城郭である。
<現地案内板より>
葛西城
御殿山公園
御殿山公園
葛西城とは関係ないが、城跡から約4km西に行くと、
金八先生のロケ地となった荒川の堤防がある(拡大可)。