刈谷城
所在地 | 愛知県刈谷市城町(亀城公園) |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 水野忠政 |
遺構 | 辰巳櫓(移築)・堀・土塁 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2016年11月21日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
本丸裏門跡
本丸跡
〜本丸には天守は建てられず、北西隅に戌亥櫓、南東隅に
辰巳櫓が建てられた。辰巳櫓は妙福寺(碧南市)に移築され
現存する〜
本丸跡
苅谷城
亀城公園は、旧刈谷城の本丸と二の丸の一部にあたる。刈谷城は天文2年(1533)水野忠政の築城で、亀城とも呼ばれ、徳川家康の生母、於大の方の育った城である。
城主は、水野家のあと、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と続き、土井家が2万3千石で廃藩まで在城した。
廃藩後、一時、国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11年(1936)には刈谷町がこれを譲り受けた。昭和16年(1941)太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の台が射砲陣地となり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となった。しかし、戦後しだいに整備が進められ、昭和44年に至り、当時愛知教育大学助教授であった大野元三氏の構想により、台一帯を日本庭園に造成し、その後も度重なる整備により、現在の亀城公園となった。現在は桜の名所として知られ、四季おりおりの花も美しく、小鳥のさえずりも聞える由緒ある公園である。
<現地案内板より>
二の丸跡に建つ城址碑
刈谷城跡説明板
本丸跡にある石碑と説明板