観音寺城
所在地 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 六角定頼・義賢 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | @2005年5月3日 |
A2012年4月24日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(ほぼ山頂の観音正寺まで) |
城跡のある繖山(標高433m)
〜山の南側斜面に1000以上の曲輪が存在する巨大山城で、
日本五大山城の一つに数えられる〜
山麓の御屋形(六角氏居館)跡
〜現在は天満宮が建っている〜
井戸内部
〜今も水をたたえている〜
本丸搦手口を少し下った所にある井戸
池田丸跡
〜重臣・池田氏の屋敷跡と考えられている。城内最大の曲輪
と思われる〜
池田丸虎口
落合丸跡
〜重臣・落合氏の屋敷跡と考えられている〜
平井丸跡
〜重臣・平井氏の屋敷跡と考えられている〜
平井丸石垣
本丸へと続く大手石段
観音正寺と城跡の間にある道標
観音正寺正面口の脇から城跡に行く小道がある
観音寺城
繖山(きぬがさやま)のほぼ山頂にある観音正寺
〜六角氏の庇護を受けて栄えたが、織田信長によって焼き
討ちにされた(慶長年間に再興)〜
観音寺城は、近江の守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い平月を経て応仁2年(1468)に完成し
さらに弘治年間鉄砲に備へて大々的に石塁が改修されている。永禄11年9月織田は当城に入城したが城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが天正10年安土城とともに滅亡した。昭和44・45年近江風土記の丘の関連として本丸付近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。
<現地案内板より>
権現見付の石垣
山頂からの眺望
平井丸埋門
本丸土塁
本丸跡に残る溜枡(ためます)
本丸搦手の喰違虎口(外側)
本丸搦手の喰違虎口(内側)
本丸石垣
本丸跡
本丸跡
平井丸虎口