か な が わ
金川城
所在地 | 岡山県岡山市北区御津金川 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 松田元成・宇喜多春家(直家の弟) |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・堀切・竪堀・井戸 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2016年4月20日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
金川城跡遠望(臥龍山、手前は旭川)
道林寺丸跡
本丸下にある「天守の井戸」
〜写真ではわかりにくいが、直径8m、深さ10.8mもあり、
山城の井戸としては国内最大級と思われる〜
本丸跡
〜右側は松田主従一族の供養塔である〜
道林寺丸の石垣
道林寺丸跡
〜松田氏時代、道林寺丸には道林寺が建っていたが、城が
宇喜多直家に攻められて落城。約20年後に現在地(御津
中山944)に再建された〜
杉の木井戸の中
〜石垣がしっかりと組まれている〜
二の丸跡
大手登山口
〜御津支所の西側に大手登山口がある〜
出丸跡
〜大手道を登って最初に出くわす曲輪である〜
金川城
臥龍山にはじめて砦が築かれた年は明らかでない。戦国時代の初め1480(文明12)年頃、松田左近将監元成が本拠を金川に移して以来5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。1509(永正6)年城主元勝は三条西実隆より玉松・麗水の2書を贈られ、以後玉松城と命名した。1568(永禄11)年7月5日、宇喜多直家に攻められ、城主元輝嫡子元賢共に壮烈な戦死を遂げ7日早暁ついに落城した。
その後、1603(慶長8)年、徳川幕府の一国一城令によって廃城となった。
落城ここに400年の星霜を経る。
<現地案内板より>
北の丸跡
北の丸下にある「白水の井戸」
本丸跡
本丸跡
本丸跡にある縄張図
妙覚寺西側にある登山口
〜大手道とは別に妙覚寺西側から登るルートもある。
帰りはこのルートで下山した〜
二の丸にある「杉の木井戸」